80歳90歳まで生きるのは大変なこと

88歳のおばあちゃん、今トイレに1日5時間くらいいるくらいトイレがもう一つの部屋になっている。脱腸でトイレに一回入ると中々出られないらしい。

どうしてそうなってしまったのか?

 

「ヨガとかやった方がいいんじゃない?」 「そうそうやらなきゃって思ってるんよ。」 で、やらない。

「何か運動とかした方がいいんじゃないの?」  「そうそうやらなきゃって思ってるんよ。」で、やらない。

結構全部そんな感じな人生。実家の人たちも含めてそんな感じ。

とにかく背筋と腹筋のバランス、骨格の問題なのかウチの母方はすべて腰が曲がって顔が前に出てしまう。おばあちゃんも60歳くらいからまっすぐにするのが力いれなきゃいけなくなってて、気を抜くと顔がもう胸くらいまで落ちてくる。普通にしていると正面を見るのではなく地面をみているような形に背骨が曲がっちゃっている。

うちの家系は多分みんなこう。ひいおばちゃんもそうだったんだから何故準備をしなかったんだろうか。。。

ヨガのポーズでよく言うけど「子宮をきゅっと持ち上げる感覚でー」そんな感覚はよく分からないけど肛門をぎゅっとしめるポーズを1日少しでもやることで変わるのかもしれない。

後から「やっておけばよかった」じゃもう遅いのだから。

それだけ腰が曲がれば、内臓も居場所がなくなる。筋力がないから下がってきてしまう。ほんとに長く生きるのも大変な世の中。もはやおばあちゃんの口から出てくる言葉を聞いていると、1日をなんとなく生きてしまっているという感覚。お迎えがくるのをじっと待っている。そんな感じに取れてしまうのだ。

ほんとに何もなく健康で歳を取れたらいいけどそんな人はごくわずか。私も難病になってるし肺気腫もある。

テニススクールに今度入ってきた方も20年前に子宮頸がんになり多分摘出や長いこと治療もやってたんだろう。聞かなければ分からない人っていっぱいいると思う。その方が「もう思い残してたことは無いように全部やろうと思ってて」で、テニススクールに入ってきたわけだが今現在余命宣告を受けているわけでもない。でもすごく気持ち分かる。私も難病だし人よりこれから大変かもしれない。長くは生きられないかもしれない。そう思うと今やれる事は楽しんでやってみようと思う気持ちになる。

それに人間関係もすっきり、わかりやすく整理しようとも思う。好きだなと思う人と付き合いを続け、もういいかなと思う人とは付き合いをやめる。実家の母親と妹とはほぼ縁を切ったが全く何も困ってない。不思議なくらい話たいなとか会いたいなとか、どうしているんだろう?と思わない自分にすごく驚く。。48年間縛られてきた「家族だから」という縛りから解放されてシンプルに「好きな人種」「嫌いな人種」で分けた時に「嫌いな人種」に入ってたんだなあと実感してしまう。相手も多分そうだと思う。価値観や考えが違う人が家族にいると目の上のたんこぶ状態だったろうし、私がいなくなって誰からも異論も唱えられないわけで快適だと思うんだよね。「戸籍上のつながり」に縛られている人ってとても多いと思う。これに抗う事はエネルギーも使うし、周囲から非情な人だ、常識的じゃないと言われるだろうし。。。でも残りの人生をどう生きるか考えて一歩踏み出す勇気も必要かも。