気の毒じゃないんだよね、

5%の奇跡〜嘘から始まる素敵な人生〜  ☆☆☆☆

 

 

よく障害をもった方に対し「あの人は気の毒なのに頑張ってて偉いわよね」

こんなふうに思う人多いと思う。。うちの親もそう。でも、、これにとても違和感を感じていた。

「気の毒ね、体が不自由なのに、足で筆をもって書くなんてすごいわ」・・・言わないけど、その続きが「私は健常者でよかったわ」となるんだろうなと思う。だから、こういう事を言う人は絶対自分が障害者とかになりたくない人なんだと思っている。

前住んでいた隣のおばさんも多分そうで、、難病になって車椅子や杖が必要になると分かったら、殆ど外に出ない。「薬で前の姿に戻れるまでは、、、」が口癖だったけど、やっぱりこういう事を言うって事は、、=健常者じゃなきゃ町を歩きたくない=不自由だと思われたくない。とても違和感を感じるんだよね。結局薬は効かず引きこもりになってしまった。

杖を使う、車椅子を使う人たちが当たり前に周りにいればこうゆう事は思わないだろう。でも日本は不自由な人を特別に見てしまう。デコボコの道路や段差だらけの街、とても生きづらい環境がさらに気楽に出歩けない状況になっている。

特別に見る事は助けることにもなるから必要だけど、そこで人間そのものの線引きをしている事が残念。

この映画の主人公の目の見え方は、私が38歳くらいから45歳まで、、最悪な時は、こんな感じでした。信号も見えない。周りの人の動きをみて自分も動く。電柱にぶつかる、階段を踏み外す。

この主人公のように5%とは言わない。ただ右目は眼鏡をしても、この主人公みたいな感じ。左目がまだかろうじて眼鏡をすれば見えるからなんとかなっているけど、右目は30-40%くらいだろうか。手術をして前よりはマシになった。

ただ、この主人公のように、ある程度騙せてしまう部分もあるんですよね。

自分がいかにその場に対応して少しでも周りと同じように、、、でも映画と同じようにどうしても無理な事もある。

「できない わからない」って言う勇気。 そして周りにお願いする勇気。

で、それに答えてくれる周りの友人や旦那。それが一番大事なんだと思う。ここは見えないだろうとスッと腕を貸す友人。でも大丈夫な状況では同じように楽しく過ごせているんです。

実際どう見えているのか?とか分かってもらえないんですよね。。だから言わなきゃ伝わらないと思ってる。

三度目の手術の後、家の中の埃や小さいゴミがクリアに見えすぎて、、見えない方が幸せかもなと思ったりも。結局手術後の1週間はクリアだったけどまたボヤっとした世界に戻ったので、、多分細かい所は汚いんだろうなー。。。

見えなくてもやれることは沢山ある。やっぱり嗅覚や味覚はもしかしたら他の人より鋭くなっているのかもしれない。

この映画は、周りにいる人たちも素晴らしかった。 この友人大丈夫?っていう胡散臭いやつが一番いいヤツで、職場のおじさんたちも諦めない気持ちをもつ主人公に親切に教えてくれる。やっぱり自分の気持ち次第なんだろうなと思うんだよね。

前向きにその時の自分の状態でどこまでできるんだろう? その気持ち大事なんじゃないかなと思う。